《死者之书》经典观后感10篇
《死者之书》是一部由川本喜八郎执导,岸田今日子 / 黑柳彻子 / 宫泽理惠主演的一部动画 / 剧情类型的电影,特精心从网络上整理的一些观众的观后感,希望对大家能有帮助。
《死者之书》观后感(一):怀春者言
这部人偶动画的背景融合了日本风格的平面动画,人偶虽然做得很精细,但人偶的表情受到日本传统的影响,变得少而僵硬,或者导演本来就是要杜绝活泼。
虽然有很浓烈的佛教色彩,理解上也很困难,但有一条副线可能会对理解有所帮助,片中经常出现的在主人公女子宅院外骑马徘徊的贵族男子,他的目的是向她求爱,而不得。这条线索本身与主干毫无关系,但男子的求爱行为其实在暗示与佛教思想不同的另一面世俗情怀。也就暗示,其实女主人公虔心礼佛,可能是另有隐情。
本来心如止水的女主角在抄完1000遍佛经之后,外面突然就下起雨来。女主角对这场雨毫无防备,在她抄写过程中,四季怎样变化她都置之度外,而抄完时的雨,却开启了她通向另一个世界的大门。
在老太婆告诉她陈年往事之后,她无疑是带着崇敬的心情来看待殉难的大津王子的。年轻有活力而又处于爱情中的大津王子的死,激起了她对她所崇仰的佛祖形象的想象。片中不止一次这样描述霞光中的佛祖:颈部、肩膀、胸部……。显然,本来一个虚无的高高在上的神,被她想象为年轻而强壮的男子。那些夜晚,她期待着佛祖的降临,但无法抑制佛祖被这位强壮的男子所代替。
这是女主角内心的一次考验。她信佛,但也向往世俗的情调。最后的了断可能是她以自己的那张画把两者相统一,把怀春的男子上升为佛祖的高度,或者抛弃信仰。
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《死者之书》观后感(二):《死者之書》正解
看介紹,以為是一套劇情片。錯了,大大的錯了。單單以故事來說,
會令觀眾摸不著頭腦的,而且場刊簡介中說什 「公主拯救王子」之
類,更加大大的誤導了觀眾。容許我把簡介改寫一遍:
日本的葛城山上的佛寺當麻寺,供奉著公元七世紀前後的曼陀羅(描
繪覺悟世界諸佛、菩薩和神的圖畫),而這幅曼陀羅,更有一個傳說
,講述一位貴族的女兒將蓮絲編成布匹,再親手把曼陀羅繪成。昭和
初年,與柳田國男齊名的民俗學者折口信夫(以釋迢空作筆名),根
據這個傳說加上搜集回來的資料,寫成《死者之書》。內容描寫天武
天皇兒子大津皇子因權力鬥爭被誣陷殺害,臨死前因瞥見女子耳面刀
自美麗的容貌而念念不忘,多年後耳面刀自的後人、貴族藤原家的女
兒因悟佛而與墳中的皇子相遇,藤原家郎女在當麻寺裡為他織布,把
他的容貌畫成曼陀羅。
看完以上的介紹,大概會猜到,這個故事是要有先驗,即是知道了故
事背景和結果才會明白奧妙之處的。作品的重點不在人物的關係和因
果,而在於佛性和民間傳說與歷史遺物的關連。老實說,我沒什 佛
性,所以不大理解郎女抄一千卷阿彌陀經是弘揚佛法還是潛心修佛,
也不知道究竟皇子是變了厲鬼還是成了佛(還是一般人以為是鬼,郎
女卻看到佛),所以只有從「原來這件古物背後有這 一個故事啊」
來看。
如果只從技法來看,川本喜八郎的人形作品是很特別的,造型生動,
細節處理得井井有條,畫面豐富,音樂也很配合。如果對民俗學或佛
學有興趣的,這作品很值得看,可是如果想看「王子復仇記」的話,
抱歉,完場時一定會有大量疑問……
死者の書
釋迢空
一
彼(カ)の人の眠りは、徐(シヅ)かに覺めて行つた。まつひ工沃肖恕⒏死浃▔氦工毪猡惟f澱んでゐるなかに、目のあいて來るのを、覺えたのである。
した した した。耳に傳ふやうに來るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて來る。
膝が、肱が、徐ろに埋れてゐた感覺をとり戻して來るらしく、彼(カ)の人(ヒト)の頭に響いて居るもの――。全身にこはゞつた筋が、僅かな響きを立てゝ、掌?足の裏に到るまで、ひきつれを起しかけてゐるのだ。
さうして、なほ深い闇。ぽつちりと目をあいて見す瞳に、まづ壓(アツ)しかゝるrの天井を意識した。次いで、氷になつた岩牀(ドコ)。兩脇に垂れさがる荒岩の壁。した/\と、岩傳(イハヅタ)ふ雫の音。
時がたつた――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで來る。長い眠りであつた。けれども亦、湦簸肖辘蛞娎mけて居た氣がする。うつら/\思つてゐた考へが、現實に繋つて、あり/\と、目に沁みついてゐるやうである。
あゝ耳面刀自(ミヽモノトジ)。
甦(ヨミガヘ)つた語が、彼の人の記憶を、更に彈力あるものに、響き返した。
耳面刀自。おれはまだお前を……思うてゐる。おれはきのふ、こゝに來たのではない。それも、をとゝひや、其さきの日に、こゝに眠りこけたのでは、決してないのだ。おれは、もつと/\長く寢て居た。でも、おれはまだ、お前を思ひ續けて居たぞ。耳面刀自(ミヽモノトジ)。こゝに來る前から……こゝに寢ても、……其から、覺めた今まで、一續きに、一つ事を考へつめて居るのだ。
古い――祖先以來さうしたやうに、此世に在る間さう暮して居た――習(ナラハ)しからである。彼の人は、のくつと起き直らうとした。だが、筋々が斷(キ)れるほどの痛みを感じた。骨の節々の挫けるやうな、疼きを覺えた。……さうして尚、ぢつと、――ぢつとして居る。射干玉(ヌバタマ)の闇。瘠未螭适冥恕⒖踏咿zまれた白々としたからだの樣に、嚴かに、だが、すんなりと、手を伸べたまゝで居た。
耳面刀自の記憶。たゞ其だけの深い凝結した記憶。其が次第に蔓(ヒロガ)つて、過ぎた日の樣々な姿を、短い聯想の紐に貫いて行く。さうして明るい意思が、彼の人の死枯(シニガ)れたからだに、再立ち直つて來た。
耳面刀自。おれが見たのは、唯一目――唯一度だ。だが、おまへのことを聞きわたつた年月は、久しかつた。おれによつて來い。耳面刀自。
記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て來た。
おれは、このおれは、何處に居るのだ。……それから、こゝは何處なのだ。其よりも第一、此おれは誰(ダレ)なのだ。其をすつかり、おれは忘れた。
だが、待てよ。おれは覺えて居る。あの時だ。鴨が聲(ネ)を聞いたのだつけ。さうだ。譯語田(ヲサダ)の家を引き出されて、磐余(イハレ)の池に行つた。堤の上には、遠捲きに人が一ぱい。あしこの萱原、そこの矮叢(ボサ)から、首がつき出て居た。皆が、大きな喚(オラ)び聲を、擧げて居たつけな。あの聲は殘らず、おれをいとしがつて居る、半泣きの喚(ワメ)き聲だつたのだ。
其でもおれの心は、澄みきつて居た。まるで、池の水だつた。あれは、秋だつたものな。はつきり聞いたのが、水の上に浮いてゐる鴨鳥(ドリ)の聲(コヱ)だつた。今思ふと――待てよ。其は何だか一目惚れの女の哭き聲だつた氣がする。――をゝ、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉體と一つに、おれの心は、急に締めあげられるやうな刹那を、通つた氣がした。俄かに、樂な廣々とした世間に、出たやうな感じが來た。さうして、ほんの暫らく、ふつとさう考へたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去つた――おれ自分すら、おれが何だか、ちつとも訣らぬ世界のものになつてしまつたのだ。
あゝ、其時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまつたのだ。
足の踝(クルブシ)が、膝の膕(ヒツカヾミ)が、腰のつがひが、頸のつけ根が、顳(コメカミ)が、ぼんの窪が――と、段々上つて來るひよめきの爲に蠢いた。自然に、ほんの偶然強ばつたまゝの膝が、折り屈められた。だが、依然として――常闇(トコヤミ)。
をゝさうだ。伊勢の國に居られる貴い巫女(ミコ)――おれの姉御(ゴ)。あのお人が、おれを呼び活けに來てゐる。
姉御。こゝだ。でもおまへさまは、尊い御(オン)神に仕へてゐる人だ。おれのからだに、觸(サハ)つてはならない。そこに居るのだ。ぢつとそこに、蹈み止(トマ)つて居るのだ。――あゝおれは、死んでゐる。死んだ。殺されたのだ……忘れて居た。さうだ。此は、おれの墓だ。
いけない。そこを開(ア)けては。塚の通ひ路の、扉をこじるのはおよし。……よせ。よさないか。姉の馬鹿。
なあんだ。誰も、來ては居なかつたのだな。あゝよかつた。おれのからだが、天日(テンピ)に暴(サラ)されて、見る/\、腐るところだつた。だが、をかしいぞ。かうつと――あれは昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の聲で、塚道の扉を叩きながら、言つて居たのも今(インマ)の事――だつたと思ふのだが。昔だ。
おれのこゝへ來て、間もないことだつた。おれは知つてゐた。十月だつたから、鴨が鳴いて居たのだ。其鴨みたいに、首を捻ぢちぎられて、何も訣らぬものになつたことも。かうつと――姉御が、墓の戸で哭き喚(ワメ)いて、歌をうたひあげられたつけ。「巖石(イソ)の上(ウヘ)に生ふる馬醉木(アシビ)を」と聞えたので、ふと、冬が過ぎて、春も闌(タ)け初めた頃だと知つた。おれの骸(ムクロ)が、もう半分融け出した時分だつた。そのあと、「たをらめど……見すべき君がありと言はなくに」。さう言はれたので、はつきりもう、死んだ人間になつた、と感じたのだ。……其時、手で、今してる樣にさはつて見たら、驚いたことに、おれのからだは、著こんだ著物の下で、(ホジヽ)のやうに、ぺしやんこになつて居た――。
臂(カヒナ)が動き出した。片手は、まつくらな空(クウ)をさした。さうして、今一方は、そのまゝ、岩牀(ドコ)の上を掻き搜つて居る。
うつそみの人なる我や。明日よりは、二上(フタカミ)山を愛兄弟(イロセ)と思はむ
誄歌(ナキウタ)が聞えて來たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足して、歌つてくれたのだ。其で知つたのは、おれの墓と言ふものが、二上山の上にある、と言ふことだ。
よい姉御だつた。併し、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになつてしまつた。
其から、どれほどたつたのかなあ。どうもよつぽど、長い間だつた氣がする。伊勢の巫女樣、尊い姉御が來てくれたのは、居睡りの夢を醒された感じだつた。其に比べると、今度は深い睡りの後(アト)見たいな氣がする。あの音がしてる。昔の音が――。
手にとるやうだ。目に見るやうだ。心を鎭めて――。鎭めて。でないと、この考へが、復散らかつて行つてしまふ。おれの昔が、あり/\と訣つて來た。だが待てよ。……其にしても一體、こゝに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの夫(ツマ)なのだ。其をおれは、忘れてしまつてゐるのだ。
兩の臂は、頸のり、胸の上、腰から膝をまさぐつて居る。さうしてまるで、生き物のするやうな、深い溜め息が洩れて出た。
大變だ。おれの著物は、もうすつかり朽つて居る。おれの褌(ハカマ)は、ほこりになつて飛んで行つた。どうしろ、と言ふのだ。此おれは、著物もなしに、寢て居るのだ。
筋ばしるやうに、彼の人のからだに、血の馳けるに似たものが、過ぎた。肱を支へて、上半身が、闇の中に起き上つた。
をゝ寒い。おれを、どうしろと仰るのだ。尊いおつかさま。おれが惡かつたと言ふのなら、あやまります。著物を下さい。著物を――。おれのからだは、地べたに凍りついてしまひます。
彼の人には、聲であつた。だが、聲でないものとして、消えてしまつた。聲でない語(コトバ)が、何時までも續いてゐる。
くれろ。おつかさま。著物がなくなつた。すつぱだかで出て來た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寢床の上を這ひずりつてゐるのが、だれにも訣らぬのか。こんなに、手足をばた/″\やつてゐるおれの、見える奴が居ぬのか。
その唸き聲のとほり、彼の人の骸(ムクロ)は、まるでだゞをこねる赤子のやうに、足もあがゞに、身あがきをば、くり返して居る。明りのさゝなかつた墓穴の中が、時を經て、薄い氷の膜ほど透(ス)けてきて、物のたゝずまひを、幾分朧ろに、見わけることが出來るやうになつて來た。どこからか、月光とも思へる薄あかりが、さし入つて來たのである。
どうしよう。どうしよう。おれは。――大刀までこんなに、錆びついてしまつた……。
二
月は、依然として照つて居た。山が高いので、光りにあたるものが少かつた。山を照し、谷を輝かして、剩る光りは、又空に跳ね返つて、殘る隈々までも、鮮やかにうつし出した。
足もとには、澤山の峰があつた。氦螭且姢à敕濉─⑷毪辘摺⒔jみあつて、深々と畝つてゐる。其が見えたり隱れたりするのは、この夜更けになつて、俄かに出て來た霞の所爲(セヰ)だ。其が又、此冴えざえとした月夜を、ほつとりと、暖かく感じさせて居る。
廣い端山(ハヤマ)の群(ムラガ)つた先(サキ)は、白い砂の光る河原だ。目の下遠く續いた、輝く大佩帶(オホオビ)は、石川である。その南北に渉つてゐる長い光りの筋が、北の端で急に廣がつて見えるのは、凡河内(オホシカフチ)の邑のあたりであらう。其へ、山間(アヒ)を出たばかりの堅鹽(カタシホ)川―大和川―が落ちあつて居るのだ。そこから、乾(イヌヰ)の方へ、光りを照り返す平面が、幾つも列つて見えるのは、日下江(クサカエ)?永瀬江(ナガセエ)?難波江(ナニハエ)などの水面であらう。
寂かな夜である。やがて鷄鳴近い山の姿は、一樣に露に濡れたやうに、しつとりとして靜まつて居る。谷にちら/\する雪のやうな輝きは、目の下の山田谷に多い、小櫻の遲れ咲きである。
一本の路が、眞直に通つてゐる。二上山の男嶽(ヲノカミ)女嶽(メノカミ)の間から、急に降(サガ)つて來るのである。難波(ナニハ)から飛鳥(アスカ)の都への古い間道なので、日によつては、晝は相應な人通りがある。道は白々と廣く、夜目には、芝草の蔓(ハ)つて居るのすら見える。當麻路(タギマヂ)である。一降りして又、大降(クダ)りにかゝらうとする處が、中だるみに、やゝ坦(ヒラタ)くなつてゐた。梢の尖つた栢(カヘ)の木の森。半世紀を經た位の木ぶりが、一樣に揃つて見える。月の光りも薄い木陰全體が、勾配を背負つて造られた圓塚であつた。月は、瞬きもせずに照し、山々は深くを閉ぢてゐる。
こう こう こう。
先刻(サツキ)から、聞えて居たのかも知れぬ。あまり寂けさに馴れた耳は、新な聲を聞きつけよう、としなかつたのであらう。だから、今珍しく響いて來た感じもないのだ。
こう こう こう――こう こう こう。
確かに人聲である。鳥の夜聲とは、はつきりかはつた韻(ヒヾキ)を曳いて來る。聲は、暫らく止んだ。靜寂は以前に増し、冴え返つて張りきつてゐる。
この山の峰つゞきに見えるのは、南に幾重ともなく重つた、葛城の峰々である。伏越(フシゴエ)櫛羅(クシラ)小巨勢(コヾセ)と段々高まつて、果ては空の中につき入りさうに、二上山と、この塚にのしかゝるほど、眞肆ⅳ沥末gいてゐる。
當麻路をこちらへ降つて來るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一氣に、この河内路へ馳けおりて來る。
九人と言ふよりは、九柱の神であつた。白い著物?白い鬘(カツラ)、手は、足は、すべて旅の裝束(イデタチ)である。頭より上に出た杖をついて――。この坦(タヒラ)に來て、森の前に立つた。
こう こう こう。
誰の口からともなく、一時に出た叫びである。山々のこだまは、驚いて一樣に、忙しく聲を合せた。だが山は、忽一時の騷擾から、元の緘默(シヾマ)に戻つてしまつた。
こう こう。お出でなされ。藤原南家(ナンケ)郎女(イラツメ)の御魂(ミタマ)。
こんな奧山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう こう。
お身さまの魂(タマ)を、今、山たづね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。こう こう こう。
九つの杖びとは、心から神になつて居る。彼らは、杖を地に置き、鬘を解いた。鬘は此時、唯眞白な布に過ぎなかつた。其を、長さの限り振り捌いて、一樣に塚に向けて振つた。
こう こう こう。
かう言ふ動作をくり返して居る間に、自然な感情の欝屈と、休息を欲するからだの疲れとが、九體の神の心を、人間に返した。彼らは見る間に、白い布を頭に捲きこんで鬘とし、杖を手にとつた旅人として、立つてゐた。
をい。無言(シヾマ)の勤(ツト)めも此までぢや。
をゝ。
八つの聲が答へて、彼等は訓練せられた所作のやうに、忽一度に、草の上に寛(クツロ)ぎ、再杖を横へた。
これで大和も、河内との境ぢやで、もう魂ごひの行(ギヤウ)もすんだ。今時分は、郎女さまのからだは、廬(イホリ)の中で魂をとり返して、ぴち/\しく居られようぞ。
こゝは、何處だいの。
知らぬかいよ。大和にとつては大和の國、河内にとつては河内の國の大關(オホゼキ)。二上の當麻路(タギマヂ)の關(セキ)――。
別の長老(トネ)めいた者が、説明を續(ツ)いだ。
四五十年あとまでは、唯ノ關と言ふばかりで、何の標(シルシ)もなかつた。其があの、近江の滋賀の宮に馴染み深かつた、其よ。大和では、磯城(シキ)の譯語田(ヲサダ)の御館(ミタチ)に居られたお方。池上の堤で命召されたあのお方の骸(ムクロ)を、罪人に殯(モガリ)するは、災の元と、天若日子(アメワカヒコ)の昔語りに任せて、其まゝ此處にお搬びなされて、お埋(イ)けになつたのが、此塚よ。
以前の聲が、まう一層皺がれた響きで、話をひきとつた。
其時の仰せには、罪人よ。吾子(ワコ)よ。吾子の爲了(シヲフ)せなんだ荒(アラ)び心で、吾子よりももつと、わるい猛び心を持つた者の、大和に來向ふのを、待ち押へ、塞(サ)へ防いで居ろ、と仰せられた。
ほんに、あの頃は、まだおれたちも、壯盛(ワカザカ)りぢやつたに。今ではもう、五十年昔になるげな。
今一人が、相談でもしかける樣な、口ぶりをんだ。
さいや。あの時も墓作りに雇はれた。その後も、當麻路の修覆に召し出された。此お墓の事は、よく知つて居る。ほんの苗木ぢやつた栢(カヘ)が、此ほどの森になつたものな。畏(コハ)かつたぞよ。此墓のみ魂(タマ)が、河内安宿部(アスカベ)から石擔(モ)ちに來て居た男に、憑いた時はなう。
九人は、完全に現(ウツ)し世の庶民の心に、なり還つて居た。山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れて居たのである。時の更け過ぎた事が、彼等の心には、現實にひし/\と、感じられ出したのだらう。
もう此でよい。戻らうや。
よかろ よかろ。
皆は、鬘をほどき、杖を棄てた白衣の修道者、と言ふだけの姿(ナリ)になつた。
だがの。皆も知つてようが、このお塚は、由緒(ユヰシヨ)深(フカ)い、氣のおける處ゆゑ、まう一度、魂ごひをしておくまいか。
長老(トネ)の語と共に、修道者たちは、再魂呼(タマヨバ)ひの行(ギヤウ)を初めたのである。
こう こう こう。
をゝ……。
異樣な聲を出すものだ、と初めは誰も、自分らの中の一人を疑ひ、其でも變に、おぢけづいた心を持ちかけてゐた。も一度、
こう こう こう。
其時、塚穴の深い奧から、冰りきつた、而も今息を吹き返したばかりの聲が、明らかに和したのである。
をゝう……。
九人の心は、ばら/″\の九人の心々であつた。からだも亦ちり/″\に、山田谷へ、竹内谷へ、大阪越えへ、又當麻路へ、峰にちぎれた白い雲のやうに、消えてしまつた。
唯疊まつた山と、谷とに響いて、一つの聲ばかりがする。
をゝう……。
三
萬法藏院の北の山陰に、昔から小な庵室があつた。昔からと言ふのは、村人がすべてさう信じて居たのである。荒廢すれば繕ひ/\して、人は住まぬ廬(イホリ)に、孔雀明王像が据ゑてあつた。當麻(タギマ)の村人の中には、稀に、此が山田寺である、と言ふものもあつた。さう言ふ人の傳へでは、萬法藏院は、山田寺の荒れて後、飛鳥の宮の仰せを受けてとも言ひ、又御自身の御發起(ゴホツキ)からだとも言ふが、一人の尊いみ子が、昔の地を占めにお出でなされて、大伽藍を建てさせられた。其際、山田寺の舊構を殘すため、寺の四至の中、北の隅へ、當時立ち朽りになつて居た堂を移し、規模を小くして造られたもの、と傳へ言ふのであつた。
さう言へば、山田寺は、役君小角(エノキミヲヅカ)が、山林佛教を創める最初の足代(アシヽロ)になつた處だと言ふ傳へが、吉野や、葛城の山伏行人(ヤマブシギヤウニン)の間に行はれてゐた。何しろ、萬法藏院の大伽藍が燒けて百年、荒野の道場となつて居た、目と鼻との間に、こんな古い建て物が、殘つて居たと言ふのも、不思議なことである。
夜は、もう更けて居た。谷川の激(タギ)ちの音が、段々高まつて來る。二上山の二つの峰の間から、流れくだる水なのだ。
廬の中は、暗かつた。爐を焚くことの少い此邊(ヘン)では、地下(ヂゲ)百姓は、夜は眞暗な中で、寢たり、坐つたりしてゐるのだ。でもこゝには、本尊が祀つてあつた。夜を守つて、佛の前で起き明す爲には、御燈(ミアカシ)を照した。
孔雀明王の姿が、あるかないかに、ちろめく光りである。
姫は寢ることを忘れたやうに、坐つて居た。
萬法藏院の上座の僧綱たちの考へでは、まづ奈良へ使ひを出さねばならぬ。横佩家(ヨコハキケ)の人々の心を、思うたのである。次には、女人結界(ケツカイ)を犯して、境内深く這入つた罪は、郎女自身に贖(アガナ)はさねばならなかつた。落慶のあつたばかりの淨域だけに、一時は、塔頭々々(タツチウ)の人たちの、青くなつたのも、道理である。此は、財物を施入する、と謂つたぐらゐではすまされぬ。長期の物忌みを、寺近くに居て果させねばならぬと思つた。其で、今日晝の程、奈良へ向つて、早使(ハヤヅカ)ひを出して、郎女(イラツメ)の姿が、寺中に現れたゆくたてを、仔細に告げてやつたのである。
其と共に姫の身は、此庵室に暫らく留め置かれることになつた。たとひ、都からの迎へが來ても、結界を越えた贖ひを果す日數だけは、こゝに居させよう、と言ふのである。
牀(ユカ)は低いけれども、かいてあるにはあつた。其替り、天井は無上に高くて、而も萱のそゝけた屋根は、破風の脇から、むき出しに、空の星が見えた。風が唸つて過ぎたと思ふと、其高い隙から、どつと吹き込んで來た。ばら/″\落ちかゝるのは、煤がこぼれるのだらう。明王の前の灯が、一時(イツトキ)かつと、明るくなつた。
その光りで照し出されたのは、あさましく荒(スサ)んだ座敷だけでなかつた。荒板の牀の上に、薦筵(コモムシロ)二枚重ねた姫の座席。其に向つて、ずつと離れた壁ぎはに、板敷に直(ヂカ)に坐つて居る老婆の姿があつた。
壁と言ふよりは、壁代(カベシロ)であつた。天井から弔りさげた竪薦(タツゴモ)が、幾枚も幾枚も、ちぐはぐに重つて居て、どうやら、風は防ぐやうになつて居る。その壁代に張りついたやうに坐つて居る女、先から嗽(シハブキ)一つせぬ靜けさである。
貴族の家の郎女は、一日もの言はずとも、寂しいとも思はぬ習慣がついて居た。其で、この山陰の一つ家に居ても、溜め息一つ洩すのではなかつた。晝(ヒ)の内此處へ送りこまれた時、一人の姥のついて來たことは、知つて居た。だが、あまり長く音も立たなかつたので、人の居ることは忘れて居た。今ふつと明るくなつた御燈(ミアカシ)の色で、その姥の姿から、顏まで一目で見た。どこやら、覺えのある人の氣がする。さすがに、姫にも人懷しかつた。ようべ家を出てから、女性(ニヨシヨウ)には、一人も逢つて居ない。今そこに居る姥(ウバ)が、何だか昔の知り人のやうに感じられたのも、無理はないのである。見覺えのあるやうに感じたのは、だが、其親しみ故だけではなかつた。
郎女(イラツメ)さま。
緘默(シヾマ)を破つて、却てもの寂しい、乾聲(カラゴエ)が響いた。
郎女は、御存じおざるまい。でも、聽いて見る氣はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知つた姥でおざるがや。
一旦、口がほぐれると、老女は止めどなく、喋り出した。姫は、この姥の顏に見知りのある氣のした訣を、悟りはじめて居た。藤原南家(ナンケ)にも、常々、此年よりとおなじやうな媼(オムナ)が出入りして居た。郎女たちの居る女部屋(ヲンナベヤ)までも、何時もづか/″\這入つて來て、憚りなく古物語りを語つた、あの中臣志斐媼(ナカトミノシヒノオムナ)――。あれと、おなじ表情をして居る。其も、尤であつた。志斐ノ老女が、藤氏(トウシ)の語部(カタリベ)の一人であるやうに、此も亦、この當麻の村の舊族、當麻眞人(タギマノマヒト)の「氏(ウヂ)の語部(カタリベ)」、亡び殘りの一人であつたのである。
藤原のお家が、今は四筋に分れて居りまする。ぢやが、大織冠さまの代どころでは、ありは致しませぬ。淡海公の時も、まだ一流れのお家でおざりました。併し其頃やはり、藤原は、中臣と二つの筋に岐れました。中臣の氏人で、藤原の里に榮えられたのが、藤原と、家名の申され初めでおざりました。
藤原のお流れ。今ゆく先も、公家攝録(クゲセフロク)の家柄。中臣の筋や、おん神仕へ。差別々々(ケヂメ)明らかに、御代々々(ミヨヽヽ)の宮守(マモ)り。ぢやが、今は今昔は昔でおざります。藤原の遠つ祖(オヤ)、中臣の氏の神、天押雲根(アメノオシクモネ)と申されるお方の事は、お聞き及びかえ。
今、奈良の宮におざります 日の御子さま。其前は、藤原の宮の 日のみ子さま。又其前は、飛鳥(アスカ)の宮の 日のみ子さま。大和の國中(クニナカ)に、宮遷し、宮奠(サダ)め遊した代々(ヨヽ)の 日のみ子さま。長く久しい御代々々(ミヨヽヽ)に仕へた、中臣の家の神業(ワザ)。郎女(イラツメ)さま。お聞き及びかえ。遠い代の昔語り。耳明らめてお聽きなされ。中臣?藤原の遠つ祖(オヤ)あめの押雲根命(オシクモネ)。遠い昔の 日のみ子さまのお喰(メ)しの、飯(イヒ)と、み酒(キ)を作る御料の水を、大和國中(クニナカ)殘る隈なく搜し覓(モト)めました。その頃、國原の水は、水澁(ソブ)臭く、土(ツチ)濁りして、日のみ子さまのお喰(メ)しの料(シロ)に叶ひません。天(テン)の神 高天(タカマ)の大御祖(オホミオヤ)教へ給へと祈らうにも、國中(ナカ)は國低し。山々もまんだ天(テン)遠し。大和の國とり圍む青垣山では、この二上山。空行く雲の通(カヨ)ひ路(ヂ)と、昇り立つて祈りました。その時、高天(タカマ)の大御祖(オホミオヤ)のお示しで、中臣の祖(オヤ)押雲根命(オシクモネ)、天の水の湧(ワ)き口(グチ)を、此二上山に八(ヤ)ところまで見とゞけて、其後久しく 日のみ子さまのおめしの湯水は、代々の中臣自身、此山へ汲みに參ります。お聞き及びかえ。
當麻眞人(タギマノマヒト)の、氏の物語りである。さうして其が、中臣の神わざと繋りのある點を、座談のやうに語り進んだ姥は、ふと口をつぐんだ。
外には、瀬音が荒れて聞えてゐる。中臣?藤原の遠祖が、天二上(アメノフタカミ)に求めた天八井(アメノヤヰ)の水を集めて、峰を流れ降り、岩にあたつて漲り激(タギ)つ川なのであらう。瀬音のする方に向いて、姫は、掌(タナソコ)を合せた。
併しやがて、ふり向いて、仄暗くさし寄つて來てゐる姥の姿を見た時、言はうやうない畏しさと、せつかれるやうな忙しさを、一つに感じたのである。其に、志斐ノ姥の、本式に物語りをする時の表情が、此老女の顏にも現れてゐた。今、當麻(タギマ)の語部(カタリベ)の姥(ウバ)は、神憑りに入るらしく、わな/\震ひはじめて居るのである。
四
ひさかたの天二上(アメフタカミ)に、
我(ア)が登り 見れば、
とぶとりの明日香(アスカ)
ふる里の 神南備山(カムナビ)隱(ゴモ)り、
家どころ 多(サハ)に見え、
豐(ユタ)にし屋庭(ヤニハ)は見ゆ。
彌彼方(イヤヲチ)に 見ゆる家群(イヘムラ)
藤原の朝臣(アソ)が宿。
遠々に我(ア)が見るものを、
たか/″\に 我(ア)が待つものを、
處女子(ヲトメゴ)は 出で通(コ)ぬものか。
よき耳(ミヽ)を 聞かさぬものか。
青馬の耳面刀自(ミヽモノトジ)。
刀自もがも。 女弟(オト)もがも。
その子の はらからの子の
處女子の 一人
一人だに、わが配偶(ツマ)に來(コ)よ。
ひさかたの天二上(アメフタカミ)
二上の陽面(カゲトモ)に、
生ひをゝり繁(シ)み咲く
馬醉木(アシビ)の にほへる子を
我(ア)が 捉(ト)り兼ねて、
馬醉木の あしずりしつゝ
吾(ア)はもよ偲(シヌ)ぶ。藤原處女
歌ひ了へた姥は、大息をついて、ぐつたりした。其から暫らく、山のそよぎ、川瀬の響きばかりが、耳についた。
姥は居ずまひを直して、嚴かな聲音(コワネ)で、誦(カタ)り出した。
とぶとりの 飛鳥の都に、日のみ子樣のおそば近く侍る尊いおん方。さゝなみの大津の宮に人となり、唐土(モロコシ)の學藝(ザエ)に詣(イタ)り深く、詩(カラウタ)も、此國ではじめて作られたは、大友ノ皇子か、其とも此お方か、と申し傳へられる御方(オンカタ)。
近江の都は離れ、飛鳥の都の再榮えたその頃、あやまちもあやまち。日のみ子に弓引くたくみ、恐しや、企てをなされると言ふ噂が、立ちました。
高天原廣野姫尊(タカマノハラヒロヌヒメノミコト)、おん怒りをお發しになりまして、とう/\池上の堤に引き出してお討たせになりました。
其お方がお死にの際(キハ)に、深く/\思ひこまれた一人のお人がおざりまする。耳面刀自(ミヽモノトジ)と申す、大織冠のお娘御でおざります。前から深くお思ひになつて居た、と云ふでもありません。唯、此郎女も、大津の宮離れの時に、都へ呼び返されて、寂しい暮しを續けて居られました。等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、愈々、磐余(イハレ)の池の草の上で、お命召されると言ふことを聞いて、一目見てなごり惜しみがしたくてこらへられなくなりました。藤原から池上まで、おひろひでお出でになりました。小高い柴の一むらある中から、御樣子を窺うて歸らうとなされました。其時ちらりと、かのお人の、最期に近いお目に止りました。其ひと目が、此世に殘る執心となつたのでおざりまする。
もゝつたふ 磐余(イハレ)の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや、雲隱りなむ
この思ひがけない心殘りを、お詠みになつた歌よ、と私ども當麻(タギマ)の語部(カタリベ)の物語りには、傳へて居ります。
その耳面刀自と申すは、淡海公の妹君、郎女の祖父(オホヂ)君南家(ナンケ)太政(ダイジヤウ)大臣には、叔母君にお當りになつてゞおざりまする。
人間の執心(シフシン)と言ふものは、怖(コハ)いものとはお思ひなされぬかえ。
其亡き骸は、大和の國を守らせよ、と言ふ御諚で、此山の上、河内から來る當麻路(タギマヂ)の脇にお埋(イ)けになりました。其が何(ナン)と、此世の惡心も何もかも、忘れ果てゝ清々(スガヽヽ)しい心になりながら、唯そればかりの一念が、殘つて居ると、申します。藤原四流の中で、一番美しい郎女が、今におき、耳面刀自と、其幽界(カクリヨ)の目には、見えるらしいのでおざりまする。女盛りをまだ婿どりなさらぬげの郎女さまが、其力におびかれて、この當麻(タギマ)までお出でになつたのでなうて、何でおざりませう。
當麻路に墓を造りました當時(ソノカミ)、石を搬ぶ若い肖摔韦暌皮膜快`(タマ)が、あの長歌を謳うた、と申すのが傳へ。
當麻語部媼(タギマノカタリノオムナ)は、南家の郎女の脅える樣を想像しながら、物語つて居たのかも知れぬ。唯さへ、この深夜、場所も場所である。如何に止めどなくなるのが、「ひとり語(ガタ)り」の癖とは言へ、語部の古婆(フルバヾ)の心は、自身も思はぬ意地くね惡さを藏してゐるものである。此が、神さびた職を寂しく守つて居る者の優越感を、充すことにも、なるのであつた。
大貴族の郎女は、人の語を疑ふことは教へられて居なかつた。それに、信じなければならぬもの、とせられて居た語部の物語りである。詞の端々までも、眞實を感じて、聽いて居る。
言ふとほり、昔びとの宿執(シユクシフ)が、かうして自分を導いて來たことは、まことに違ひないであらう。其にしても、ついしか見ぬお姿――尊い御佛と申すやうな相好が、其お方とは思はれぬ。
春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざ/\と見たお姿。此日本(ヤマト)の國の人とは思はれぬ。だが、自分のまだ知らぬこの國の男子(ヲノコヾ)たちには、あゝ言ふ方もあるのか知らぬ。金色(コンジキ)の鬣、金色の髮の豐かに垂れかゝる片肌は、白々と袒(ヌ)いで美しい肩。ふくよかなお顏は、鼻隆く、眉秀で、夢見るやうにまみを伏せて、右手は乳の邊に擧げ、脇の下に垂れた左手は、ふくよかな掌を見せて、……あゝ雲の上に朱の唇、匂ひやかにほゝ笑まれると見た……その俤。
日のみ子さまの御側仕へのお人の中には、あの樣な人もおいでになるものだらうか。我が家(ヤ)の父や、兄人(セウト)たちも、世間の男たちとは、とりわけてお美しい、と女たちは噂するが、其すら似もつかぬ……。
尊い女性(ニシヨウ)は、下賤な人と、口をきかぬのが當時の世の掟である。何よりも、其語は、下ざまには通じぬもの、と考へられてゐた。それでも、此古物語りをする姥には、貴族の語もわかるであらう。郎女は、恥ぢながら問ひかけた。
そこの人。ものを聞かう。此身の語が、聞きとれたら、答へしておくれ。
その飛鳥の宮の 日のみ子さまに仕へた、と言ふお方は、昔の罪びとらしいに、其が又何とした訣で、姫の前に立ち現れては、神々(カウヾヽ)しく見えるであらうぞ。
此だけの語が言ひ淀み、淀みして言はれてゐる間に、姥は、郎女の内に動く心もちの、凡は、氣(ケ)どつたであらう。暗いみ燈(アカシ)の光りの代りに、其頃は、もう東白みの明りが、部屋の内の物の形を、朧ろげに顯しはじめて居た。
我が説明(コトワケ)を、お聞きわけられませ。神代の昔びと、天若日子(アメワカヒコ)。天若日子こそは、天(テン)の神々に弓引いた罪ある神。其すら、其後(ゴ)、人の世になつても、氏貴い家々の娘御(ゴ)の閨(ネヤ)の戸までも、忍びよると申しまする。世に言ふ「天若(アメワカ)みこ」と言ふのが、其でおざります。
天若みこ。物語りにも、うき世語(ヨガタ)りにも申します。お聞き及びかえ。
姥は暫らく口を閉ぢた。さうして言ひ出した聲は、顏にも、年にも似ず、一段、はなやいで聞えた。
「もゝつたふ」の歌、殘された飛鳥の宮の執心(シフシン)びと、世々の藤原の一(イチ)の媛に祟る天若みこも、顏清く、聲心惹く天若みこのやはり、一人でおざりまする。
お心つけられませ。物語りも早、これまで。
其まゝ石のやうに、老女はぢつとして居る。冷えた夜も、朝影(アサカゲ)を感じる頃になると、幾らか温みがさして來る。
萬法藏院は、村からは遠く、山によつて立つて居た。曉早い鷄の聲も、聞えぬ。もう梢を離れるらしい塒鳥が、近い端山(ハヤマ)の木群(コムラ)で、羽振(ハブ)きの音を立て初めてゐる。
五
おれは活(イ)きた。
闇い空間は、明りのやうなものを漂してゐた。併し其は、蒼れの如く、たなびくものであつた。
巖ばかりであつた。壁も、牀(トコ)も、梁(ハリ)も、巖であつた。自身のからだすらが、既に、巖になつて居たのだ。
屋根が壁であつた。壁が牀であつた。巖ばかり――。觸(サハ)つても觸つても、巖ばかりである。手を伸すと、更に堅い巖が、掌に觸れた。脚をひろげると、もつと廣い磐石(バンジヤク)の面(オモテ)が、感じられた。
纔かにさす薄光りも、r石が皆吸ひとつたやうに、岩窟(イハムロ)の中に見えるものはなかつた。唯けはひ――彼の人の探り歩くらしい空氣の微動があつた。
思ひ出しだぞ。おれが誰だつたか、――訣つたぞ。
おれだ。此おれだ。大津の宮に仕へ、飛鳥の宮に呼び戻されたおれ。滋賀津彦(シガツヒコ)。其が、おれだつたのだ。
歡びの激情を迎へるやうに、岩窟(イハムロ)の中のすべての突角が哮(タケ)びの反響をあげた。彼の人は、立つて居た。一本の木だつた。だが、其姿が見えるほどの、はつきりした光線はなかつた。明りに照し出されるほど、まとまつた現(ウツ)し身(ミ)をも、持たぬ彼(カ)の人であつた。
唯、岩屋の中に矗立(シユクリツ)した、立ち枯れの木に過ぎなかつた。
おれの名は、誰も傳へるものがない。おれすら忘れて居た。長く久しく、おれ自身にすら忘れられて居たのだ。可愛(イト)しいおれの名は、さうだ。語り傳へる子があつた筈だ。語り傳へさせる筈の語部(カタリベ)も、出來て居たゞらうに。――なぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しく/\と胸を刺すやうだ。
――子代(コシロ)も、名代(ナシロ)もない、おれにせられてしまつたのだ。さうだ。其に違ひない。この物足らぬ、大きな穴のあいた氣持ちは、其で、するのだ。おれは、此世に居なかつたと同前の人間になつて、現(ウツ)し身の人間どもには、忘れ了(ホ)されて居るのだ。憐みのないおつかさま。おまへさまは、おれの妻の、おれに殉死(トモジ)にするのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ粟津子(アハツコ)は、罪びとの子として、何處かへ連れて行かれた。野山のけだものゝ餌食(ヱジキ)に、くれたのだらう。可愛さうな妻よ。哀なむすこよ。
だが、おれには、そんな事などは、何でもない。おれの名が傳らない。劫初(ゴフシヨ)から末代まで、此世に出ては消える、天(アメ)の下(シタ)の青人草(アヲヒトグサ)と一列に、おれは、此世に、影も形も殘さない草の葉になるのは、いやだ。どうあつても、不承知だ。
惠みのないおつかさま。お前さまにお縋りするにも、其おまへさますら、もうおいでゞない此世かも知れぬ。
くそ――外(ソト)の世界が知りたい。世の中の樣子が見たい。
だが、おれの耳は聞える。其なのに、目が見えぬ。この耳すら、世間の語を聞き別けなくなつて居る。闇の中にばかり瞑(ツブ)つて居たおれの目よ。も一度くわつと(ミヒラ)いて、現し世のありのまゝをうつしてくれ、……土龍の目なと、おれに貸しをれ。
聲は再、寂かになつて行つた。獨り言する其聲は、彼の人の耳にばかり聞えて居るのであらう。
丑刻(ウシ)に、靜謐の頂上に達した現(ウツ)し世(ヨ)は、其が過ぎると共に、俄かに物音が起る。月の、空を行く音すら聞えさうだつた四方の山々の上に、まづ木の葉が音もなくうごき出した。次いではるかな谿のながれの色が、白々と見え出す。更に遠く、大和國中(クニナカ)の、何處からか起る一番鷄のつくるとき。
曉が來たのである。里々の男は、今、女の家の閨戸(ネヤド)から、ひそ/\と歸つて行くだらう。月は早く傾いたけれど、光りは深夜の色を保つてゐる。午前二時に朝の來る生活に、村びとも、宮びとも、忙しいとは思はずに、起きあがる。短い曉の目覺めの後、又、物に倚りかゝつて、新しい眠りを繼ぐのである。
山風は頻りに、吹きおろす。枝?木の葉の相軋(ヒシ)めく音が、やむ間なく聞える。だが其も暫らくで、山は元のひつそとしたけしきに還る。唯、すべてが薄暗く、すべてが隈を持つたやうに、朧ろになつて來た。
岩窟(イハムロ)は、沈々と黝(クラ)くなつて冷えて行く。
した した。水は、岩肌を絞つて垂れてゐる。
耳面刀自(ミヽモノトジ)。おれには、子がない。子がなくなつた。おれは、その榮えてゐる世の中には、跡を貽(ノコ)して來なかつた。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り傳へる子どもを――。
岩牀(ドコ)の上に、再白々と横つて見えるのは、身じろぎもせぬからだである。唯その眞裸な骨の上に、鋭い感覺ばかりが活きてゐるのであつた。
まだ反省のとり戻されぬむくろには、心になるものがあつて、心はなかつた。
耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であつたに違ひはない。自分すら忘れきつた、彼の人の出來あがらぬ心に、骨に沁み、干からびた髓の心(シン)までも、唯彫(ヱ)りつけられたやうになつて、殘つてゐるのである。
萬法藏院の晨朝(ジンテウ)の鐘だ。夜の曙色(アケイロ)に、一度騷立(サワダ)つた物々の胸をおちつかせる樣に、鳴りわたる鐘の音(ネ)だ。一(イツ)ぱし白みかゝつて來た東は、更にほの暗い明(ア)け昏(グ)れの寂けさに返つた。
南家の郎女は、一莖の草のそよぎでも聽き取れる曉凪(アカツキナ)ぎを、自身擾すことをすまいと言ふ風に、身じろきすらもせずに居る。
夜(ヨル)の間(マ)よりも暗くなつた盧(イホリ)の中では、明王像の立ち處(ド)さへ見定められぬばかりになつて居る。
何處からか吹きこんだ朝山颪(オロシ)に、御燈(アカシ)が消えたのである。當麻語部(タギマカタリ)の姥も、薄闇に蹲つて居るのであらう。姫は再、この老女の事を忘れてゐた。
たゞ一刻ばかり前、這入りの戸を搖つた物音があつた。一度 二度 三度。更に數度。音は次第に激しくなつて行つた。樞がまるで、おしちぎられでもするかと思ふほど、音に力のこもつて來た時、ちようど、鷄が鳴いた。其きりぴつたり、戸にあたる者もなくなつた。
新しい物語が、一切、語部の口にのぼらぬ世が來てゐた。けれども、頑(カタクナ)な當麻氏(タギマウヂ)の語部の古姥(フルウバ)の爲に 我々は今一度、去年以來の物語りをしておいても、よいであらう。まことに其は、昨(キゾ)の日からはじまるのである。
六
門をはひると、俄かに松風が、吹きあてるやうに響いた。
一町も先に、固まつて見える堂伽藍――そこまでずつと、砂地である。白い地面に、廣い葉の青いまゝでちらばつて居るのは、朴の木だ。
まともに、寺を壓してつき立つてゐるのは、二上山(フタカミヤマ)である。其眞下に槃佛(ネハンブツ)のやうな姿に横つてゐるのが、麻呂子山だ。其頂がやつと、講堂の屋の棟に、乘りかゝつてゐるやうにしか見えない。
女人(ニヨニン)の身は、何も知つて居る訣はなかつた。だが、俊敏な此旅びとの胸に其に似たほのかな綜合の、出來あがつて居たのは疑はれぬ。暫らくの間、その薄緑の山色を仰いで居た。其から、朱塗りの、激しく光る建て物へ、目を移して行つた。
此寺の落慶供養のあつたのは、つい四五日前(アト)であつた。まだあの日の喜ばしい騷ぎの響(トヨ)みが、どこかにする樣に、麓の村びと等には、感じられて居る程である。
山颪(オロシ)に吹き暴(サラ)されて、荒草深い山裾の斜面に、萬法藏院(マンホフザウヰン)の細々とした御燈(ミアカシ)の、煽られて居たのに見馴れた人たちは、この幸福な轉變(テンペン)に、目をつて居るだらう。此郷に田莊(ナリドコロ)を殘して、奈良に數代住みついた豪族の主人も、その日は、歸つて來て居たつけ。此は、天竺の狐の爲わざではないか、其とも、この葛城郡に、昔から殘つてゐる幻術師(マボロシ)のする迷はしではないか。あまり莊嚴(シヨウゴン)を極めた建て物に、故知らぬ反感まで唆られて、廊を踏み鳴らし、柱を叩いて見たりしたものも、その供人(トモビト)のうちにはあつた。數年前の春の初め、野燒きの火が燃えのぼつて來て、唯一宇あつた萱堂(カヤドウ)が、忽痕もなくなつた。そんな小さな事件が起つて、注意を促してすら、そこを、曾て美(ウルハ)はしい福田と、寺の創められた代(ヨ)を、思ひ出す者もなかつた程、それは/\、微かな遠い昔であつた。
以前、疑ひを持ち初める里の子どもが、其堂の名に、不審を起した。當麻(タギマ)の村にありながら、山田寺(デラ)と言つたからである。山の背(ウシロ)の河内の國安宿部郡(アスカベゴホリ)の山田谷から移つて二百年、寂しい道場に過ぎなかつた。其でも一時は、倶舍(クシヤ)の寺として、榮えたこともあつたのだつた。
飛鳥の御世の、貴い御方が、此寺の本尊を、お夢に見られて、おん子を遣され、堂舍をひろげ、住侶の數をお殖しになつた。おひ/\境内になる土地の地形(ヂギヤウ)の進んでゐる最中、その若い貴人が、急に亡くなられた。さうなる筈の、風水(フウスヰ)の相(ソウ)が、「まろこ」の身を招き寄せたのだらう。よしよし、墓はそのまゝ、其村に築くがよい、との仰せがあつた。其み墓のあるのが、あの麻呂子山だと言ふ。まろ子といふのは、尊い御一族だけに用ゐられる語で、おれの子といふほどの、意味であつた。ところが、其おことばが縁を引いて、此郷の山には、其後亦、貴人をお埋め申すやうな事が、起つたのである。
だが、さう言ふ物語りはあつても、それは唯、此里の語部(カタリベ)の姥(ウバ)の口に、さう傳へられてゐる、と言ふに過ぎぬ古(フル)物語りであつた。纔(ワヅ)かに百年、其短いと言へる時間も、文字に縁遠い生活には、さながら太古を考へると、同じ昔となつてしまつた。
旅の若い女性(ニヨシヤウ)は、型摺りの大樣な美しい模樣をおいた著る物を襲うて居る。笠は、湦たF(ヘリ)に、深い縹色(ハナダ)の布が、うなじを隱すほどに、さがつてゐた。
日は仲春、空は雨あがりの、爽やかな朝である。高原(カウゲン)の寺は、人の住む所から、自(オノヅカ)ら遠く建つて居た。唯凡、百の僧俗が、寺(ジ)中に起き伏して居る。其すら、引き續く供養饗宴の疲れで、今日はまだ、遲い朝を、姿すら見せずにゐる。
その女人は、日に向つてひたすら輝く伽藍のりを、殘りなく歩いた。寺の南境(ザカヒ)は、み墓山の裾から、東へ出てゐる長い崎の盡きた所に、大門はあつた。其中腹と、東の鼻とに、西塔?東塔が立つて居る。丘陵の道をうねりながら登つた旅びとは、東の塔の下に出た。
雨の後の水氣の、立つて居る大和の野は、すつかり澄みきつて、若晝(ワカヒル)のきら/\しい景色になつて居る。右手の目の下に、集中して見える丘陵は傍岡(カタヲカ)で、ほの/″\と北へ流れて行くのが、葛城川だ。平原の眞中に、旅笠を伏せたやうに見える遠い小山は、耳無(ミヽナシ)の山であつた。其右に高くつつ立つてゐる深緑は、畝傍山。更に遠く日を受けてきらつく水面は、埴安(ハニヤス)の池ではなからうか。其東に平たくて低い背を見せるのは、聞えた香具(カグ)山なのだらう。旅の女子(ヲミナゴ)の目は、山々の姿を、一つ/\に辿つてゐる。天(アメノ)香具山をあれだと考へた時、あの下が、若い父母(チヽハヽ)の育つた、其から、叔父叔母、又一族の人々の、行き來した、藤原の里なのだ。
もう此上は見えぬ、と知れて居ても、ひとりで、爪先立てゝ伸び上る氣持ちになつて來るのが抑へきれなかつた。
香具山の南の裾に輝く瓦舍(カハラヤ)は、大官大寺(ダイクワンダイジ)に違ひない。其から更に眞南の、山と山との間に、薄く霞んでゐるのが、飛鳥(アスカ)の村なのであらう。父の父も、母の母も、其又父母も、皆あのあたりで生ひ立たれたのであらう。この國の女子(ヲミナゴ)に生れて、一足も女部屋(ヲンナベヤ)を出ぬのを、美徳とする時代に居る身は、親の里も、祖先の土も、まだ踏みも知らぬ。あの陽炎(カゲロウ)の立つてゐる平原を、此足で、隅から隅まで歩いて見たい。
かう、その女性(ニヨシヤウ)は思うてゐる。だが、何よりも大事なことは、此郎女(イラツメ)――貴女は、昨日の暮れ方、奈良の家を出て、こゝまで歩いて來てゐるのである。其も、唯のひとりでゞあつた。
家を出る時、ほんの暫し、心を掠めた――父君がお聞きになつたら、と言ふ考へも、もう氣にはかゝらなくなつて居る。乳母があわてゝ探すだらう、と言ふ心が起つて來ても、却つてほのかな、こみあげ笑ひを誘ふ位の事になつてゐる。
山はづつしりとおちつき、野はおだやかに畝つて居る。かうして居て、何の物思ひがあらう。この貴(アテ)な娘御(ゴ)は、やがて後をふり向いて、山のなぞへについて、次第に首をあげて行つた。
二上山。あゝこの山を仰ぐ、言ひ知らぬ胸騷ぎ。――藤原?飛鳥の里々山々を眺めて覺えた、今の先の心とは、すつかり違つた胸の悸(トキメ)き。旅の郎女は、脇目も觸らず、山に見入つてゐる。さうして、靜かな思ひの充ちて來る滿悦を、深く覺えた。昔びとは、確實な表現を知らぬ。だが謂はゞ、――平野の里に感じた喜びは、過去生(クワコシヤウ)に向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは未來世(ミライセ)を思ふ心躍りだ、とも謂へよう。
塔はまだ、嚴重にやらひを組んだまゝ、人の立ち入りを禁(イマシ)めてあつた。
でも、ものに拘泥することを教へられて居ぬ姫は、何時の間にか、塔の初(シヨ)重の欄干に、自分のよりかゝつて居るのに、氣がついた。
さうして、しみ/″\と山に見入つて居る。まるで瞳が、吸ひこまれるやうに。山と自分とに繋(ツナガ)る深い交渉を、又くり返し思ひ初めてゐた。
郎女の家は、奈良東城、右京三條第七坊にある。祖父(オホヂ)武智麻呂(ムチマロ)のこゝで亡くなつて後、父が移り住んでからも、大分の年月になる。父は、男壯(ヲトコザカリ)には、横佩(ヨコハキ)の大將(ダイシヨウ)と謂はれる程、一ふりの大刀のさげ方にも、工夫を凝らさずには居られぬだて者(モノ)であつた。なみの人の竪にさげて佩く大刀を、横(ヨコタ)へて弔る佩き方を案出した人である。新しい奈良の都の住人は、まださうした官吏としての、華奢な服裝を趣向(コノ)むまでに到つて居なかつた頃、姫の若い父は、近代の時世裝に思ひを凝して居た。その家に覲(タヅ)ねて來る古い留學生や、新來(イマキ)の歸化僧などに尋ねることも、張文成などの新作の物語りの類を、問題にするやうなのとも、亦違うてゐた。
さうした闊達な、やまとごゝろの、赴くまゝにふるまうて居る間に、才(ザエ)優れた族人(ウカラビト)が、彼を乘り越して行くのに氣がつかなかつた。姫には叔父彼――豐成には、さしつぎの弟、仲麻呂である。
その父君も、今は筑紫に居る。尠くとも、姫などはさう信じて居た。家族の半以上は、太宰帥(ダザイノソツ)のはな/″\しい生活の裝ひとして、連れられて行つてゐた。宮廷から賜る資人(トネリ)?仗(タチ)も、大貴族の家の門地の高さを示すものとて、美々しく着飾らされて、皆任地へついて行つた。さうして、奈良の家には、その年は亦とりわけ、寂しい若葉の夏が來た。
寂かな屋敷には、響く物音もない時が、多かつた。この家も世間どほりに、女部屋は、日あたりに疎い北の屋にあつた。その西側に、小な蔀戸(シトミド)があつて、其をつきあげると、方三尺位なになるやうに出來てゐる。さうして、其内側には、夏冬なしに簾が垂れてあつて、戸のあげてある時は、外からの隙見を禦いだ。
それから外(ソトマハ)りは、家の廣い外郭になつて居て、大炊屋(オホヒヤ)もあれば、湯殿火燒(ヒタ)き屋なども、下人の住ひに近く、立つてゐる。苑(ソノ)と言はれる菜畠や、ちよつとした果樹園らしいものが、女部屋の窓から見える、唯一の景色であつた。
武智麻呂存生(ゾンジヤウ)の頃から、此屋敷のことを、世間では、南家と呼び慣はして來てゐる。此頃になつて、仲麻呂の威勢が高まつて來たので、何となく其古い通稱は、人の口から薄れて、其に替る稱へが、行はれ出した樣だつた。三條三坊第二保をすつかり占めた大屋敷を、一垣内(ヒトカキツ)――一字(ヒトアザナ)と見做して、横佩墻内(ヨコハキカキツ)と言ふ者が著しく、殖えて來たのである。
その太宰府からの音づれが、久しく絶えたと思つてゐたら、都とは目と鼻の難波(ナニハ)に、いつか還り住んで、遙かに筑紫の政を聽いてゐた帥(ソツ)の殿であつた。其父君から遣された家の子が、一車(ヒトクルマ)に積み餘るほどな家づとを、家に殘つた家族たち殊に、姫君にと言つてはこんで來た。
山國の狹い平野に、一代々々都遷しのあつた長い歴史の後、こゝ五十年、やつと一つ處に落ちついた奈良の都は、其でもまだ、なか/\整ふまでには、行つて居なかつた。
官廳や、大寺が、によつきり/\、立つてゐる外は、貴族の屋敷が、處々むやみに場をとつて、その相間々々に、板屋や瓦屋が、交りまじりに續いてゐる。其外は、廣い水田と、畠と、存外多い荒蕪地の間に、人の寄りつかぬ塚や岩群(イハムラ)が、ちらばつて見えるだけであつた。兎や、狐が、大路小路を驅ける樣なのも、毎日のこと。つい此頃も、朱雀大路(シユジヤクオホヂ)の植ゑ木の梢を、夜になると、鼠(ムサヽビ)が飛び歩くと言ふので、一騷ぎした位である。
横佩家の郎女(イラツメ)が、稱讃淨土佛攝受經(シヨウサンジヤウドブツセフジユギヤウ)を寫しはじめたのも、其頃からであつた。父の心づくしの贈り物の中で、一番、姫君の心を饒(ニギ)やかにしたのは、此新譯の阿彌陀經一卷(イチクワン)であつた。
國の版圖の上では、東に偏(カタヨ)り過ぎた山國の首都よりも、太宰府は、遙かに開けてゐた。大陸から渡る新しい文物は、皆一度は、この遠(トホ)の宮廷領(ミカド)を通過するのであつた。唐から渡つた書物などで、太宰府ぎりに、都まで出て來ないものが、なか/\多かつた。
學問や、藝術の味ひを知り初めた志の深い人たちは、だから、大唐までは望まれぬこと、せめて大宰府へだけはと、筑紫下りを念願するほどであつた。
南家(ナンケ)の郎女(イラツメ)の手に入つた稱讃淨土經も、大和一國の大寺(オホテラ)と言ふ大寺に、まだ一部も藏せられて居ぬものであつた。
姫は、蔀戸(シトミド)近くに、時としては机を立てゝ、寫經してゐることもあつた。夜も、侍女たちを寢靜まらしてから、油火(アブラビ)の下で、一心不亂に書き寫して居た。
百部は、夙くに寫し果した。その後は、千部手寫の發願をした。冬は春になり、夏山と繁つた春日山も、既に黄葉(モミヂ)して、其がもう散りはじめた。蟋蟀は、晝も苑一面に鳴くやうになつた。佐保川の水を堰(セ)き入れた庭の池には、遣(ヤ)り水傳ひに、川千鳥の啼く日すら、續くやうになつた。
今朝も、深い霜朝を何處からか、鴛鴦の夫婦鳥(ツマドリ)が來て浮んで居ります、と童女(ワラハメ)が告げた。
五百部を越えた頃から、姫の身は、目立つてやつれて來た。ほんの纔かの眠りをとる間も、ものに驚いて覺めるやうになつた。
《死者之书》观后感(三):你可以理解是宗教,也可以理解是叙说宗教故事怎么形成的
啊,看到一半的反应是, 因为被人看了一眼,女子必须背负罪孽?然后后世要还债= =有这道理?
哦....古人说红颜是祸水,这话绝对是男的说的,自己错了后悔才来怪女的,一个巴掌也拍不响。
不过看完的话,你可以理解这是个为宗教的故事,也可以理解这是个讲述宗教故事怎么来的故事。前面看,这是完全的古老的、不公平的宗教故事。不过看完才觉,从女子的角度看去,她是潜心修佛?还是在孤寂无聊中想象佛与男子,因为反复出现的脖子、胸部,到最后恳求看到“佛”的形象,为什么要见到容貌?这里像是世俗女子的爱情,只是对象是“佛”,看到清晰的容貌,更像是完成她心中对一个男子的形象。她将佛的形象与世俗男子合为一者,看似修行的过程,也像是古时深闺女子对爱的追求过程.........一点都没觉得是对佛的敬仰。
而那个老妇就是来联系下她和皇子,表示她欠了皇子的债。而皇子的灵魂更奇怪,要一个她肚子里出来的孩子?突然出现在这里觉得象征意味好重,但又不知道象征什么,孩子是生命的延续,也许这里是皇子想要延续生命,然后顺理成章后面将皇子和佛像结合,皇子在世俗中便得永生。最后她的修行或者是说还债,就是将“佛”与男子何为一体画出来,超度了皇子?还是完成了自己还债?(这里完全不管,为什么她是欠了皇子的债,就别人一眼,她今世就耗在完满他?随便世人解释,谁让你丢了镜子,或者谁让你美貌,反正剧情需要吧)
一个女子的修行.....怕是难以离开世俗,尘念,更何况是未出柜的深闺女子,修行一词........人生都还未经历过,何来修行与参佛
一个深闺女子画的佛像,这里想说是纯净?但是一个女子,年轻女子,未出阁的,美貌的,不受家庭关爱的,佛在她心中,更是一种与世俗相连的依靠。她从抄经到完成佛像中,得到的是自己的圆满吧
其实,从小到大我们知道的很多宗教故事都不公平,或者说不符合我们的伦理观、道德观,但是它们恒久流传,因为它们是以前那个年代的某些执笔者迎合政权而写,所以故事符合那个年代的道德、伦常,所以以前的人们认同不认同都得认同。所以各个年代的大师都会对以另外的解说来告诉你这个年代的生活观,因为宗教所以存在,是为了引导众生从苦难中看到光明 (这里声明,我绝对相信信仰)。
关于宗教的话,它是很好的,宗教故事。
但,对于故事,太多象征的感觉,什么都是有象征的,实在太............并不像个故事,剧情不好,突然的很,人偶戏的话,中国的很多人偶戏都更精致,动作和偶头制作等,所以打2个星...........
《死者之书》观后感(四):折口信夫『死者の書(1943)』 あらすじ?登場人物?章別あらすじ
あらすじ
郎女(藤原南家の姫)は、二上山に現れる幻影(郎女を恋人と思い込む大津皇子の亡霊)に誘われるように、ふもとの万法蔵院(当麻寺)に入り込み、女人禁制を破った咎をあがなううち、死者の亡霊を慰めるため、蓮糸で織った布に曼荼羅を描く。
登場人物
【死者】大津皇子(663~686): 天武天皇の第三皇子、滋賀津彦。文武に優れたが址搐蛞嗓铯靹I刑、二上山に葬られた。
【郎女】藤原南家の郎女(いらつめ): 豊成の娘、死者は耳面刀自と考えている。
藤原豊成(704~766): 郎女の父、武智麻呂の長子、横佩大臣。
藤原仲麻呂(706~764): 郎女の叔父、藤原恵美、押勝、大師。その後、道鏡排斥に失敗して失脚、殺害された。
【淡海公】藤原不比等(659~720): 郎女の曽祖父、藤原鎌足の第二子。
耳面刀自(みみものとじ): 淡海公の妹、郎女の祖父の叔母。その後、大友皇子の妃の一人となったが、壬申の乱後は消息不明。
藤原武智麻呂(680~737): 郎女の祖父、不比等の長子、南家の祖。
大伴家持(718?~785): 兵部大輔、三十六歌仙、『万葉集』の一割以上を占める。
当麻(たぎま)語部姥
身狭乳母
章別あらすじ
1 死者が耳面刀自を想いながら目ざめた。
2 二上山で郎女の魂ごいをしていた当麻の修験者が死者の墓のそばで異様な声を聴いた。
3 万法蔵院の女人結界を犯して捕まった郎女に当麻語部姥が藤原氏の話を始める。
4 姥は大津皇子と耳面刀自、そして郎女との因縁を語る。
5 死者が自分が滋賀津彦であることを思い出した。
6 二上山の上におもかげを見た郎女が、春の彼岸中日、仏説阿弥陀経の千部写経を終え、夜を通して二上山まで歩いた。
7 郎女が二上山の女人禁制の万法蔵院の境内に入り、とがめられる。
8 奈良で開眼する東大寺の四天王像のうち、にらみ合っている多聞天と広目天のモデルが、仲麻呂と道鏡であるとのうわさがたった。
9 郎女のうわさを聞いた大伴家持が横佩家の前を通った。
10 郎女のもとに、曾祖母の法華経や大叔母(光明皇后)の楽毅論、父が書いた『仏本伝来記』が届いた。
11 郎女は「ほけきょう」と鳴く鶯が気になる。
12 寺の浄域を穢した郎女は、自分で咎をあがなう(長期の物忌みをする)という。
13 郎女は夜、帷帳をつかむ指を見て、阿弥陀を唱えた。
14 大伴家持が藤原仲麻呂を訪ね、郎女のことが話題になった。
15 ひと月が過ぎて、郎女は天井に光、花、黄金の髪、荘厳な顔、目、肩、胸、白い肌を見た。
16 初夏となり、若者や乳母たちは蓮の茎から蓮糸を紡いだ。
17 秋分の夕、郎女は、再び万法蔵院に入り込み、二上山の男嶽と女嶽の間に人のおもかげを見た。
18 郎女がおもかげ人の肌をおおうため、織機で蓮糸を織り始めた。
19 郎女は布を裁ち縫い、大きな上帛(はた)を作った。
20 郎女は絵の具で織物におもかげ人の絵を描いたが、それは阿弥陀仏の姿にも見えた。
《死者之书》观后感(五):(死者之书)
我觉得高中的时候并没有看懂,有点被吓到也有点念念不忘。保留到现在的想法是皇子成佛佛成魔,这种变幻流转就像草木枯荣一样自然而无稽。触发皇子之死的政治原因像啪一声打出的火花,很快就在时间的绵延水波中灭掉,对此后种种怨念,渴望,轮回与变异概不负责。而小姐虔诚的源头是虚无没有根的,更多似是自我暗示,以等待、倾慕和牺牲的心情信佛;在我以为她叶公好龙的时候,这种心力却又偏偏出奇地坚定和强大,强大到将朦胧的情欲和前世的渊源驱散,也震退陷入怨与欲中的亡灵。作画和抄经仿佛是燃烧病躯,牵着时间的衣袖急急向彼岸奔去。小姐,为什么要那么着急呢,你在追赶什么。我那样想。有点荒诞却又很符合我当时的人生观哈哈~~可能我完全理解错了,有空重新看看。